(Source: deli-hell-me, via nukist)
— マハトマ・ガンジー (via greenz) (via picgra) (via miyavi) (via dannnao) (via chiaki25) (via tsuzuking) (via jinon) (via suzukichiyo) (via ginzuna) (via kuwataro)
2008-12-30 (via gkojay) (via usaginobike) (via umi82mizuiro) (via shortcutss) (via yellowblog) (via chordstriker) (via usaginobike) (via it-shine-reading) (via yaruo)
(Source: pushthemovement, via quawai)
社会学的理由「役割理論によると殺人者という役割になってしまい今後コミュニケーションが不利になるから。」
心理学的理由「道徳的不快感と生理的不快感が生まれるから。」
経済学的理由「一人死んで一人刑務所に入ると合計2人分の国内GDPが減るから。」
国際政治学的理由「無差別な攻撃者が一番損をするのは、アクセルロッドのゲーム理論より明らかだから。」
生物学的理由「人を殺す人間は刑務所に入るか死刑になり、適応価が下がり自然淘汰されるから。」
政治学的理由「これも小泉改革のツケにされるから。」
文学的理由「ラスコーリニコフは苦悩したから。」
歴史学的理由「一人殺したら殺人者になり、無罪になるには組織的に大量に殺さないとダメだとチャップリンが言ってたから。」
哲学的理由「殺していい理由も殺してはいけない理由もない、カントのアンチノミーであり理性の能力を超えているから。」
物理学的理由「エヴァレット解釈によれば人を殺せなかった可能世界は必ず発生するので殺せない。」
化学的理由「撃っても煮ても焼いても質量保存の法則により総質量は変わらないので無駄だから。」”
- アルファルファモザイク - なぜ人を殺しちゃいけないか (via hisaruki) (via 778) (via starcat) (via petapeta) (via ittm) (via makototz) (via ipodstyle)
2010-07-05 (via gkojay) (via show43n) (via tsutsuji) (via hsmt) (via toshikawa)"
— “なぜ人を殺しちゃいけないか?
社会学的理由「役割理論によると殺人者という役割になってしまい今後コミュニケーションが不利になるから。」
心理学的理由「道徳的不快感と生理的不快感が生まれるから。」
経済学的…” (via ntrs)
(via yaruo)
— SYNODOS JOURNAL - 震災後の日本社会と若者(3) 小熊英二×古市憲寿 (via kogumarecord)
—
2008-06-17 - 赤の女王とお茶を (via aerogenerator) (via makototz) (via ipodstyle) (via tnoma) (via furoneko) (via takeshi) (via lookalikelike) (via appbank) (via ipodstyle) (via yaruo)
> Beneath the rule of men entirely great,
> The pen is mightier than the sword.
The pen is mightier than the sword - Wikipedia (via netinago99) (via uessai-text) (via takahirokato-old) (via ssbt) (via aya18) (via hyasuura) (via katoyuu)
2010-11-12
(via gkojay) (via fialux) (via sytoh) (via dannnao) (via deli-hell-me) (via takaakik)
親指を操り、一心に手紙を打つ中学生や高校生。そんな姿を、街で見かけるたびに、私たちは、ほほ笑みたくなるのです。時にうれしそうな、時に真剣なその眼差しは、万年筆やペンを手にしている人の眼差しと同じだ、と。思いを言葉にすることを楽しんでいる人が、ここにもいる、と。ほんの少し前、「活字離れ」が心配されていたこの国で、毎日、何通もメールという手紙を書き、ブログという日記を書く人が増えている。「この気持ち、あの人に届くだろうか」「この考え、伝わるだろうか」迷いながら考えながら、言葉を選び、文章を綴る人たちがいる。筆記具という道具を90年つくり、書く人たちの隣にいた者として、そのことが、ただうれしいのです。そして、あなたの言葉を、あなたの文字で、したためたくなった時。私たちのペンは、伝えようと思います。その胸の内を、その体温を、言葉にできない大切な何かを。
中国で買ったマッサージタオルの注意書きがヤバイ。 http://lockerz.com/s/165360335 Twitter / JoinTheFlock
日本にいるあいだに、いろいろな世代のひとに話をきいて、強くおもったことは、
1950年代後半くらいまでに生まれたひとたちには、溌剌とした知的共同体とでもいうべき強い雰囲気がある。この世代が小学生の高学年から高校生時代にかけて共有していたと思われる、ラジオの深夜放送や演歌だらけだったという流行歌への強い反発、岡林信康(バックバンドが「はっぴいえんど」なのだな)、「ぷかぷか」、吉田拓郎くらいまで、それまでの「旧世界」とくっきりと色が違う文化を共有して強く永続的になるかに見えたエネルギーの渦巻きが、「ポパイ」という雑誌や、ユーミンの音楽が爆発的に売れるに従って様変わりしてしまい、「金魂巻」のように、いまの時代のわしなどが手に取ると、こんな退屈で薄汚いへらへら笑いに満ちた本が、なんでそんなに売れたのだろう、と思うようなしょうもない本が売れる時代に至って、あっというまにエネルギーを失って墜落してしまう、そのときに何があったか、ということでした。
中進国から先進国への移行、全共闘運動を防止するための初等から高等までの教育体制の弾圧的な改変の成功、さまざまな説明があるのは知っているが、どれもピンと来ない。
あの80年代のどこかに有ったはずの分水嶺の、丘陵の両側をその持ち前の敏感さで眺めていた、いしいひさいちに、「マルトの秋田さん」の話でもしながら、どんなことが起きたのか訊いてみたい、と思う事があります。
"— 日本の古典_その1 いしいひさいち « ガメ・オベールの日本語練習帳v_大庭亀夫の休日 (via ginzuna)
(via kogumarecord)
(via takaakik)
(Source: partytillyoubjork, via kotoripiyopiyo)



